大井川の歴史

 浜名湖が大きな淡水湖として登場し、その周囲にナウマン象やトラ、オオカミが生息していたころ、県中部はどんな姿を見せ始めていただろう。動物化石は少なく、全体の環境を再現するのは難しいが、1つの川が当時のようすの断片を物語ってくれる。

 長さ168km、流域面積1,280km2。赤石山地、間ノ岳(標高3,189m)近くに源を発する県内5大河川の1つ、大井川。下流域には、牧之原台地、島田から藤枝、焼津に至る大井川平野が広がる。100万年前ごろまで、この大河川の歴史がはっきりとたどれるのだ。

 最初の大きな足跡は、掛川、袋井市、大須賀、大東町の境界にある“小笠山”(標高264m)。100万―50万年前の大井川の扇状地ないし三角州の堆(たい)積物と推測される。

 このころから、大井川は1つの山を作ってしまうくらいの大量のレキ(石、土砂)をその山懐から供給し始める。

 島田市の南方、牧之原台地の間に1段高く突き出した坂部原台地、(旧榛原郡坂部村)が次の足跡。40年―30万年前ごろにかけて、大井川が運んだレキでできている。そして牧之原台地。10万年前ごろの大井川のはんらん原とされる。いずれのレキも組成が同じ(砂岩、泥岩)で、大井川がつくったという決め手となった。

 「これは、100万年前ごろから、大井川の源である赤石が激しく隆起した、ということを示唆しています。この動きとともに大井川の下流や河口に当たった低地には、上流から赤石の土砂がどんどん運ばれ、現在の地形が形作られていったのでしょう。」元静岡大学教授の土隆一は、こう説明した後、「中流域にもこういった過去の出来事を今に伝える名残があります」と続けた。

 景勝―鵜山の七曲り。榛原郡川根本町地名(じな)、島田市笹間渡間で、大井川が何回も大きく曲がりくねっている地形が、それだという。

 「大井川のような急流は普通、低い方へ向かう力が強く。直線的な流れになるんですが、まるで稲妻のように川が折れ曲っている。これには訳があるんです。一部の地層は北東から南西方向に構造が走っているのに、赤石は北西方向に高まっていったからです。川は低い方向、つまり南東に流れたいのに、その方向には地層が壁のように立ちはだかる。だから、大井川はある程度、地層に沿って流れた後、こらえ切れず、地層を断って低い方向へ流れる。稲妻方になる理由です」(土元教授)。

 さらに興味深いことに。河岸段丘を調べると、曲がりくねった河床の下には直線的な流れを示す段丘形跡も見つかった。また、その下には曲がりくねった時期、直線的な時期を示す跡が2万年前まで、繰り返し記録されていた。

 「つまり、少なくとも2万年前から現在までは、赤石が極めて急激に(地質時代から見て)隆起を続けているということです。隆起が激しいため、曲がっていた河床は直線になりまた隆起が続くため、新たに蛇行ができる」(土元教授)。

 蛇行と直流の間隔を試算してみると、数1,000年単位。今の“七曲がり”も、やがては直線の流れになるという。

 土元教授が県内を調査したところ、赤石起源の石は、1,800万年前ごろの地層にも発見された。1,800万年前ごろ、大井川の前身的な川が生まれて、赤石の石を運びだし、100万年前ごろから本格的な急流、大河川となった大井川は、県中部平野部の地形の骨組みをつくったらしい。

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今の大井川絵地図
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60年前の大井川絵地図